2013年12月21日土曜日

数字だけを追いかけてきたことの弊害

一か月間のザンビア再訪から、先日帰国し、すっかり大学院生の暮らしへと戻ってしまいました。ザンビアでは青年海外協力隊として活動していた学校で共に働いた同僚の好意で、その同僚のお宅へお邪魔していました。ザンビアの文化なのかどうかわかりませんが、その同僚が身の回りの世話をすべてしてくれました。何かしないと気が済まないので、意気揚々と箒とちりとりを両手に、頭には鉢巻をして、玄関周りを掃除していると、同僚に「やめろ、お前は客なのだから、そこで座っておけ。」と言われる始末でした。彼には本当にお世話になりました。

さて、この滞在の本分は「調査」であったわけです。忘れてはいけません。私はグレード7(日本の中学校1年生程度)の学期末に行われる国家試験に関する調査をしていたのですが、その一環で行った教師を対象に行ったインタビュー調査で、面白いことが明らかになってきました。

ザンビアを含めた多くの南部アフリカでは、初等学校の修了要件として、国家試験に合格する必要があります。ところが、近年国家試験の結果に関わらず、すべての児童を修了させるという動きがあります。こういった背景を踏まえて、今回のインタビューを振り返ってみますと、様々な問題が挙がってきました。ここで多くは語ることは出来ませんので、一つだけ。

学校、特に村落部に位置する学校では日本でいうところの特別支援学校が近所にありません。ですから、特別な支援を要する児童は近くにある普通の学校へ通うわけです。先ほども申し上げた通り、国家試験を受けた児童は誰でも自動的にこの国家試験に合格しますので、特別な支援を要する児童も合格し、次のステップに進む切符を手に入れるわけです。誰もが、中等教育にアクセスできるようになることは素晴らしいことですが、中等学校へ進級できたとしても、彼らにとって必要な教育が提供されるとは考えにくいです。そうだとすれば、彼らは中等学校で何を学び、どんな能力を身につけることができるのでしょうか。

ミレニアム開発目標や、様々な国際的な数値を伴う目標によって、その目標を達成したかどうかが明確にわかるようになりました。ところが、設定された数字だけを追いかけ、内実を伴わない空っぽの数字を達成しても何の意味もありません。教師からのインタビューで明らかになった問題は、空っぽの数字だけを追いかけてきたことの弊害であるような気がしてなりません。