2010年3月18日木曜日

ザンビアのお葬式

この2月はザンビアに来て以来のお葬式続きの日々でした。

人が死ぬってどういう事なんだろうってフレーズがずーと頭の中をぐるぐる回っていました。

ザンビアのお葬式はたいてい3日間です。
その人が亡くなったそのすぐ後から始まります。

故人の家の中のソファーなどの大きな家具を外に出し、男性は外、女性は部屋の中に入り、悲しみを共有します。その間、知り合いや親せきがその家に集まり悲しみを分かち合い、慰め合います。ザンビア人女性は本当に大きな声で泣きます。

実は、ザンビアに来て当初、ある先生のお兄さんが亡くなったということでお葬式に参加しましたが、その時周りの人が大声で泣いているのに驚いて、自分はあまり悲しい気持ちになれませんでした。

しかし、今は人々のこの行動の意味がわかります。

今年2月に入り、4人の知り合いが立て続けに亡くなり、私はその事実を受け入れるのが難しく、どうして亡くなったのか、そうしてこんなに悲しいことが頻繁に起こるのかと自問自答し、とても気が滅入りました。

そんなとき、お葬式の行われている家へ行き、部屋の中で他の悲しんでる人と、人目を気にすることなく涙を流せる、悲しみを表に出すことができるという環境にとても救われました。

私自身は大声を出しませんでしたが、周りの人が大きな声で故人の名前呼びながら泣いていると、自分だけじゃなくみんなが悲しんでるんだと言うのが伝わり、自分の気持ちも落ち着くのがわかりました。

親戚たちの集まった3日目にみんなでお墓へ行き棺を埋葬します。亡くなってから埋葬までの2夜、故人の教会の仲間たちが途切れることなく歌を歌い続けます。女性たちは葬式に集まった何十人もの人たちのために料理を作り続けます。男性は火を焚き続けます。特に故人に最も近かった人を慰めるために、なるべく多くの人が絶えることなく家に訪れます。これがザンビアのお葬式のスタイルです。

私はこの知り合いの死を通して日本との大きな違いに気付きました。

ザンビアに来る前の私のイメージは、人々は飢えや栄養失調、変な伝染病や病気で亡くなる人が多いんだろうというものでしたが、実際、お金がなくても食べ物は豊富にあります。栄養失調な子どもは見かけません。あまり、日本と変わらないじゃないかというのが印象でした。
しかし、大きな違いは医療の中にありました。日本では、死者に必ず死因があります。ここザンビアには死因を突き止めるだけの医療がありません。人々はなぜ亡くなったのかわからないのです。病気だという以外にありません。つまり、死因がわからないということはその前の時点で、治療法がわからないということになります。なぜなら何の病気かわからないのですから。つい1週間前まで元気だった人が亡くなってしまうのです。もしかしたらそんなに難しい病気ではなかったかもしれないのに、治療が適切に行えずに亡くなってしまうのです。

私の同僚の奥さんと、女性の同僚がこの2月に出産を行いました。二人とも、赤ちゃんは順調に成長していると言われていたのに、出産時の医療のミスでどちらの赤ちゃんも亡くなってしまいました。話を聞くとなんでそうなるの?!と悔しくなります。とても悲しいです。

日本では、頻繁に人が亡くならないのは高い医療技術のおかげなんです。日本にもザンビアと同じように病気はあるんです。でも、日本にはそれを診断し治療する技術があるのです。私、気づいてませんでした。そしてそれが決定的にここには不足しているんです。どうしたらいいんでしょう。

人が亡くなるのはとても悲しいです。神を信じてれは天国に行くのかもしれませんが、でも、この世で一緒に話をしたり、並んで歩いたりできないのは寂しすぎます。彼らはこんなにも神を信じ、慕っているのに、命を奪うなんてパニッシュメント以上です。

あぁ、どうにかこの状況を打開したいです。

2010年3月3日水曜日

気づいたら、もう3月

皆様、ご無沙汰しております。

1月、2月と自身の研究活動でばたばたとして、ブログを放置していました。
申し訳ございません。

2月には、山田さんも無事にザンビアからご帰国されました。

そういえば、思い起こせば2年前の2007年12月。
管理人は、ザンビアでの2年間の任期を終え、日本に戻りました。
まだ90%ほどザンビア人丸出しだった私は、挙動不審のまま広島大学へ。
そこで、赴任直前の山田さんに出会いました。

ですので、ザンビアでは何度も山田さんとは会っていましたが、日本で会うのは実は2度目。

なんとなーく二人とも変な感じでした(笑)

山田さんは、4月から完全に広大に戻られます。
非常に面白い研究をされているので、私も彼女から受ける刺激を楽しみにしています!!