2013年2月6日水曜日

協力隊員としての活動の良し悪しについて


僕たちはいつだって発展途上です。という発想は飽くなき自己実現への欲求ですが、常に成長をし続けたいと思うのはありがちなことだと思います。しかし、「いつだって」が示すように、完璧な人間なんていません。たとえいたとしてもいったいどんな人間なのでしょうか。つまり、人間の成長には限界があるのです。有限なのだと思います。しかし、一方で人間は何者にもなりうる力を持っていると思います。誰からも無理だと思われた事業を一代で築く人間もいるし、自分の求める自分になるために、努力を続け成長している人だってたくさんいます。

人間は有限で無限の可能性を秘めた存在だと私は思っています。

自分には無限の可能性があると考えている人に問いたい。
努力し続けて、無限に成長していけるとしたら、思うままに自分を変革できるとしたら、そんなつまらない人生はないでしょう。多分気が狂ってしまうと思います。それはドラえもんで、すべてに嫌気がさしたノビタがもしもボックスを使って、自分以外すべての人間を消してしまい、その直後にひどく喪失感を味わうというその感情に似ているのではないかと勝手に想像しています。

それでも、中には思うように成長したり、思うような夢を叶えたりする人だっているでしょう。しかし、私はそれをすべて自分の力や努力のおかげだというのは危険だと思います。なぜかというと、自分の手で自分の人生を変革できたという発想は、世の大部分の自分の人生を自分で変革できない人への蔑みに向かうからです。例えば、どんなに貧乏でも俺は努力して大学に進学したという人は経験上、経済的な理由で大学進学できなかった人を責めます。どんなに忙しくても、私はダイエットに成功したという人は、忙しさを理由にダイエットできない人を罵ります。

それらは「たまたま」諸条件が整い、成功できたに過ぎないのだと思います。協力隊でも同じことです。二年の任期を終えて、日本へ帰国するその瞬間にここでの活動は自分の満足に足り得るものか、そうでないのかは自分の努力以上に周りの人間や環境、タイミング、運に左右されます。その成功を全て自分の能力や自分の努力によるものだと思っているのであれば、それはおこがましいことだと思えてなりませんし、逆に活動に失敗したのは全て自分のせいだとするのも同様におこがましいと思います。

私は自分の能力や努力以外に成功か否かを決定する要因があるので、個人の努力は全く無意味なものだ、すぐに努力をやめろ というのではありません。それでも、良い方向へ向かおうとするのが人間だと思います。少しでも、良くなるように考え、行動すること、今できる最善を尽くしきることが大切だと思っています。私はやりたいことが思うようにできなくても、思うようにならなくても、与えられた環境の中で、自分が持っている手札から最善のカードを選択し、場に提出し続けていく。今の状況を何とかしていこうとする、ふんばっている人を心の底から応援したいし、そういう人間でありたいと思います。